完全投入

同じ闘うなら目標を立ててやるんだ。
神と中心の前に必ず成し遂げる事を誓ってやれ。
やらなければ死んでしまうという真剣勝負の心が必要。
冒険的挑戦的生活が必要。
一心不乱に祈れ。
気違いのごとくやってみよ。
そうしたら先生が啓示して教えてくれる。
霊界が先生を証しようと準備している。
御旨のため死んだ覚悟で飛び込め。
そうすれば生きる。
ふらふらしていると本当に死ぬ。
先生は御旨のためいつも無理をしている。
あるときはたまらないほど体の調子の悪いときがある。
しかし疲れて死んだとしてもそれが御旨だ。
だから死んでもっともだと思う。
ありったけの力を尽くせ。
力が完全に尽き果てたとき、神の前に完全にマイナスとなって再び生きてしまう。
それが原理だ。
だから絶対的信仰をもってやれば後の責任は神が持つ。
ゆえに自己の限界に挑戦せよ。
自己の限界に挑戦せよ。
自己の限界に挑戦せよ。

アラスカ精神

勝利の秘訣は勝つまでやることです。投入すれば必ず最後、どこかで結果が現れます。変わらない心情で投入し続けることが大切です。
先生は毎朝、どんなに朝早くても出かけました。そしてその日に対する希望と期待に満ちていました。また、太陽が沈む時、その日のために自分の最善を尽くしたという喜びを返しながら帰ってきました。
先生は皆さんが誇りを持って先生が行ったのと同じ道を辿って欲しいと思います。

神はあなたがたを愛している

多くの場合、私と通じることができるという確信がないのは、
あなたが自分自身を尊敬していないからです。
私はすべての人と通じることができるのです。
あなたの霊に心情があるなら、私はあなたと通じることができます。
その心情が真っ黒だとか、罪深いとかは問題ではありません。
私は強力な“洗浄剤"を持った、天の洗濯人です。
私がただ清い人々だけを捜し回っていると思いますか?彼らには私は必要ありません。
むしろ葛藤している人々に、私が必要なのであり、私はあなたを助けたいのです。
あなたは大きな罪を犯しています。
それはサタンを信用して自分を卑下し、自己嫌悪の状態に置いてきたことです。
罪とは天のお父様から離れることなのです。
もし、あなたが自分自身の中でうまく授受できないとしたら、
たとえ聖人のようにふるまったとしても私の心にはとまりません。
まず、神がいかにあなたを愛しているかを学んで、その愛を受ける必要があります。
そのすべては、あなたの中で結実するものなのです。
神があなたがたを祝福されますように。

メッセージ

あなたたちの多くはいまだに過去にとらわれたり、自分のパターン(既成概念)にとらわれています。
信仰は成長すべきものです。信仰はちょうど樹木のように生き生きしていなければなりません。
木は毎日成長しています。だから生きているのです。生長しなくなると、その木は枯れてしまいます。
あなたの信仰のパターンは時として、あなたをワナに陥れます。
そうするとあなたは(霊的に)死んでしまいます。しかし復活することができるのです。
神がどれほどあなたたちを愛しているか、どうか分かってください。
それは圧倒するような愛で、表現することができませんが、その愛を分かち合いたいのです。
そして、あなたたちは、神の愛の世界を分け与えてほしいのです。

手紙

お前はひとりで生まれてきて、ひとりで生きているのではなく
私があるからお前があり、お前があるから私があるのだよ。
お前の罪は人類の罪だ。お前が勝たなければ
お前よりもっと苦しんでいる人たちはどうするのかね。
お前には責任があるのだよ。
私もお前なら勝てると思ったからこそ、信じているからこそ
今まで、お前を導いて来たのだよ。
たとえお前が信じなくとも、たとえお前が愛さなくとも
私はお前を信じ愛しているんだよ。
私は報酬を望まない。どんなに今まで裏切られて来たことか。
それでも私はお前達を愛して信じて来たのだよ。
お前がどんなに否定しても、お前は私のかけがえのない娘だよ。
お前の罪の故に、お前の苦しさの悲しさの故に、私はお前以上に耐えて来たのだよ。
暗闇の中をお前はひとりで歩いて来たのではなく、
いつも私がそばにいたのをお前はどれだけ知っていたのか。
ごらん木々の緑の中に、小川のせせらぎの中に、
私の愛がきこえるだろう。
私はこんなにお前を愛しているのだよ。
さあ、信じてごらんお前の中の私を、愛してごらんお前の中の私を、
お前が立ち上がるまで、お前が勝利者となるまで
私はいつもそばにいて、お前をみているよ。
私はお前の親だからお前を離すことはできないのだよ。
戦って勝利して私を喜ばせておくれ。
私の信じた娘は、私の愛した娘は、こんなに成長しましたと
神様の前にサタンの前に誇ることのできるお前であっておくれ。
罪が少なくて勝利するのが簡単だった者より
罪が多くて勝利するのが困難だった者が勝利してくれた方が
私にとってどれほどの大きな希望となる事だろうか。
この娘は本当に罪深かったけれども、
今ではこんなに清くこんなに成長しましたと私に言わせておくれ。
お前と二人で天のお父様の前に報告にいける日を
私の唯一の楽しみにしているよ。頑張るんだよ。

訓練

世界的に恐ろしい軍隊があるとしたら、恐ろしいほど訓練された軍隊である。
素晴らしい軍隊があるとしたら、素晴らしいほど訓練された軍隊である。
それ以外にはない。例外はない。
実践には例外がない。
奇蹟ということは例外であって、それが一時あった場合には千年の穴が開く。我々はそれを知っている。
訓練が必要である。でたらめな訓練ではない。計画的であり、科学的であり、理論的であり、実践的な訓練が必要である。
先生が好きなのは「一心不乱、一生懸命」である。一生懸命、一心不乱に目的に向かって進め。

愛は関心を持つことから、人は心情で動くもの

『ために生きる人』になるためには、どのような道を行かなければならないのでしょうか? 
そのためには、真の愛の道をよく知らなければなりません。
愛とは、関心です。
真の愛の道を行く人は関心を持たなければなりません。天に関心を持ち、み旨に関心を持ち、人に関心を持たなければならないのです。
それは、神様に似た者となって真の愛の道を歩んでいくためです

指導者1

指導者は復帰の目的をなす期間を短縮させて導くものである。
大きいことをしようとすれば、大きく信ずることを知り、大きく譲ることを知り、大きく飛び越えることを知らなければならない。

偉大な指導者はお金が一銭もなくても、素晴らしいことを成し遂げる根性と天下を抱くことのできる無限大の心を所有した者である。

指導者は誰よりも苦労しよう、祭物になろう、哀れな事情の主人公となろうという心持ちと、実践が伴わなければならない。

指導者2

不変の恩師の立場、不変の父母の立場、そして神の前に不変の忠臣となって、指導者となり得る。

指導者は涙なしでは指導することができない。
押し迫ってくる民族の苦難と試練を知って、ここに備えることのできる苦痛を与え、試練を与えて鍛錬させるものが真なる指導者である。

指導者の不足を補い育んであげなさい。
指導者を批評するものはカインの王である。
指導者の欠点を包み、責任を持とうとするものは、いつの日かアベルの立場に立つようになる。

指導者3

従っている人たちが願わないところにおいて命令する指導者は,滅びる。

指導者は利用物である。しかし絶対に滅びない。
神様のため3000万の利用物となってごらんなさい。
そうしたら3000万は私の掌の中にいるだろう。

歴史的な指導者となるためには、歴史と時代の難事にぶつかっても押しだすことのできる者とならねばならない。
そしてどんな不利な事件も良く利用することを知る者とならねばならない。
英雄というのは自分の敵を友人にすることができる人である。

指導者4

たくさん泣かなければ、多くを泣かすことができない。

他人を支配しようと思うものはまず自分自ら支配を受けてごらんなさい。

荒野時代を恐れる者はイスラエルではなく、滅びて、倒れてしまって荒い鳥のえじきになる者である。


指導者5

今までは消耗戦であった。
ゆえに自体内において力が抜けてことは事実である。しかし、神を基準として3年間耐えて進んでごらんなさい。
天的な基盤が築かれるようになっている。

神が最後にこの地上でなさねばならないみ旨があるがゆえに、我々はこの地上で滅びる立場におかれても滅びずに残されてきたのである。

身体の目、耳、鼻、口などはみな、生まれる前にこの世にあるすべてのことを知って生まれたのである。人間自身がすべてを知り得ようか。それらすべてを知った存在は人間以上の全知なる存在であらざるを得ない。その存在が神である。

指導者6

苦難を受けて踏みにじられても、ここに不変の民族性をもって天的主導権の一日を慕おう。韓国はむち打たれる場合には神様にすがって打たれなければならない。

先生はだれよりも私の家族を愛した人であった。にもかかわらず家族の前には復帰に関する原理のみ言を語ってあげることができなかった。中心が決定されるためには取りあえず四方性が整わなければならないことを知っているからである。
復帰摂理の原則を見てみなさい。どこまでも外部から内部へと訪ねてくるではないか。
まず他人と世界を自分の家族のように感じ、真実に通ずることができなければならない。

皆さんが心配する以前に、中心はそれより気を配ったがゆえに、中心の前では言うことがないだろう。そして皆さんの生命の問題に対しても、中心ほど考えた人はいない。

指導者7

一番信じ難い層の人(20代~30代)を一番信じて摂理されねばならない神の心情を慰めなければならない。

創造は一つの目的と一つの動機から始まった。
ゆえに散った世界の再編成も一つの動機もとに再び集まることによって始まる。

神は、天宙的な大きな幸福を与えようとなさるのに、人間は目先の微々たる幸福のみ求めれているので、与えようとしていた大きな恵みがかえって大きな災いとして我々に与えられた。

指導者8

地上に住んでいる数多くの人間たちは、この時間、自分も知らずに、より良いものを地上に住んでいる人間がそうであるように、地上に対している天も同じである。

先生は今日まで食口たちに対して悪なる心を抱いたことがなかった。
倒れれば世話をして葬式をやってあげたい心情である。
このように他人を大切にして愛してあげる立場で真心を尽くせば悪なる人の心も転換してくる。

先生は内的な基準から外的な基準へと向かうのであり、皆さんは外的な基準から内的な基準へと訪ねてくるのである。ゆえに先生と皆さんが復帰の一点で会って夜通しで事情を分かちあうそのような誠をもたなければならない。

指導者9

先生は歴史的な悲しみを払いのけてきたので、掘り下げていけば神にまで悲しみが連絡され、これをもちだすとき、この民族と世界人類が痛哭せざるを得ないのである。

神学、哲学を研究する専門家よりも神の心情を研究する専門家が歴史と世界を支配するだろう。
神の心情をアダムの堕落以後4000年ぶりに知ったのがイエス様であり、神がアダムを失ったのち、4000年ぶりに探し求めた実体であった。
しかし、今日では、イエス様が神の心情を知ったほど、イエス様の心情を理解する聖徒がいないのが嘆かわしい。
我々は聞いて見たことでも行うことが難しい。神が無言の苦労を6000年間してこられたその心情はいかばかりであろうか。

国がなくては入籍することはできない。主権は神の主権を代行する場である。

指導者10

木が大きくなればなるほど根は地下に深く入っていく。
根の浅い木は枯れるか、あるいは風が強いとき、引き抜かれてしまうだろう。
指導者とは根のような者である。

勝利的主管者となりなさい。勝利的主管者となるためには、信仰の分野と愛の分野で勝利者であることが認められなければならない。

指導者は天運に合わせて行かなければならない。
天運を左右する主人公が神様である。

指導者11

責任者になろうとすれば
①立つべき立場を環境を主管しなければならない。
②み旨の目的に向かっていく立場において先頭に立たねばならない。
③数においては負けても、全体を思うことにおいては勝たねばならない。
④食べる前にも眠る前にも、彼らを思い祈ってあげなければならない。
⑤彼らが私のためにいるのではなく、私が彼らのためにいると思わねばならない。
⑥神が与えてくださったものの上に私がプラスさせようという心がなければならない。

イエス様が復活なさったのちに弟子たちを訪ねられたのは、彼らと立てた誓いを彼らは裏切っても、天は裏切ることができなかったので訪ねていったのである。誓いが果たされるまで,責任者は責任を放棄することができない。

荒野時代のイスラエル民族は、モーセを批判し、族長を批判し、責任を持ったものを批判したので滅亡した。この群れを、モーセが再び押し出し、打たねばならなかった。そのままほっておけば死ぬので、刀を取ってでも押し出さねばならなかったのである。

指導者12

み言だけではいけない。汗を流す人が、人を動かす。

聖人は、神様を紹介し、天の道を植えつけるために苦労する者である。

人を嫌う人は、指導者になり得ない。

指導者13

環境に引張られていくのではなく、私が環境を引張っていかなければならない。

自分自身を一度振り返ってみよ。私は後退しているのか、それとも前進しているのか。

先生は、永遠に現役であると思う。私が80の老客となったとしても、あなた方に引っ張られていくのではなく、杖をついても堂々とみ旨の旗手となって先頭に立つことを、神様の前に誓う先生である。

指導者14

指導者とは、一刀両断する勇断の性格をもっていなければならない。彼は、大きいときには、泰山(注:高く大きい山)も見透かしてみなければならないし、また小さいときには、髪の毛一本でもふいて調べるほどでなければならないし、また厳しいときには、自分の骨肉も顧みないで、それでいて慈愛を施す場合には、虫も踏み殺せない人とならねばならない。

大きな恵みを食いつぶさないで、小さな恵みを育てることを知らねばならない。

天と地の前に、威信と体面をもてる面目を整えたか。

指導者15

千万人が、喜んで用いることのできる材料となりなさい。

来なければ、来るようにしなければならない。

小さい地域一つも責任をもてない人が、どうして天と地に責任をもつことができようか。

指導者16

敗残兵は、再び精鋭部隊には立たせられない。

指導者は、涙が涸れてはならない。

針になることができなければ、せめて糸にでもなろう。

指導者17

真の主人になろうとすれば、
第一に、神様中心の所有観念が確立されなければならない、
第二は、責任観念が強くなければならない、
第三は、他人のものではなく、私のもので祭祀(さいし)を神様の前に捧げなければならない。

どうせ生きるなら、素晴らしく生き、素晴らしく闘い、素晴らしく生を終えよう。

神様は、二人の中の一人が必要である。第一は、指導者が呼んで相談できる人であり、第二は、指導者が命令できる人である。

指導者18

引っ張られていく人とならず、歴史的に公的責任を持っていた数多くの人たちを呼び起こす動因となり、引っ張る人となりなさい。

接待を受けても常習化されてはならない。常に、そのあとには涙で祈らなければならない。

我々指導者は、神様のために気が狂ったと言える伝統を立てなければならない。

指導者19

指導者は、日が暮れて夜が早く来ることが怨讐であるように感じるほどに、昼夜働かなければならない。

怨讐を打つ前に、まず愛しなさい。

高く貴重な立場にいればいるほど責任を感じ、未来に希望をつなぎなさい。

指導者20

先駆者が成功すれば、従うものも勝利するのである。

先生の青春時代を考えてみなさい。死を踏み越えてこそ生命の価値を感じることができる。

祭司長は祭物の代わりであるために、所有観念があってはならない。

指導者21

知ってみると多くの面において「あ!足りないな」と言う、これが良い賜(たまもの)である。

指導者とは、人生の行くべき正道を発見した人である。神様が、六千年の苦労のふろしき包みを負わせ、それを一日のうちにやり遂げたとしても、神様がまだ残っていると言って命令できる人である。

モーセは豪華なパロ宮中で生活をしたが、これが何だ!といって民族をより思ったがゆえに、民族的な指導者になり得た。

指導者22

百人がやることをやらねばならないし、百人がやる仕事の先頭に立たねばならない。

国の主権者は心のようで、民は体のようでなければならない。国には全体を統治する主体性が、個人には個体を統治する主体性がなければならない。

歴史を無視する人は、現実の責任者になり得ない。現実の責任者になりたい人は、歴史の相続者となりなさい。イエス様は死によって過去を相続し、復活によって未来を収拾した。

指導者23

聖日礼拝の3日前から準備しながら、その日、万民のため祝福を与えるよう精誠をつくさねばならない。

責任者とは幸福なものではなく、極めて悲惨な者である。この世とぶつかり、新しい歴史的伝統を立てなければならない。

開拓者は、常に先頭にいるが故に寂しいのである。二人で行く道ではないからである。資料を収集して道をつくっていくのである。ゆえに開拓者には歴史がなく、因縁がない。

指導者24

責任者として知らねばならないことは、子供の心である。

母親が病になっても子供に乳を与えなければならないのと同様に、指導者には疲れとか自分の事情というものはあり得ない。

人に接するとき、笑顔で対しなさい。それは自然な防御となるのである。

希望的な人は、常に建設的だ。

人格

無限に与えることのできる人が、無限に受けることができる。我々は、千万の人によく用いられる材料となろう。

神様からも「あなたがいなければ生きられない」と言われるような人格者となりなさい。

完全なる人格者になれば、生活自体が祈りである。多く祈って、無限なる霊力に接しなさい。これが原動力となって、生活するものとならねばならない。

人格2

自ら、自分の人格を崇拝できる人となりなさい。
万物に対しても恥ずかしくない崇拝を受ける感じがなければならない。
その次に「私を見習いなさい」と言って、その後に相対的な世界を見つめなさい。

万物を抱いて与える者は、万民から受ける者である。

人を恥ずかしく思わせる私となって、神様に褒められる私となれば、相互関係において喜びでもって因縁づけられる。


※万物…この場合、人間は含まれないで、動物、植物、鉱物などが該当する。お金や時間も含まれる。

人格3

人格者とは、自分のことを早く済ませて、他人のことをまず考える人のことをいうのである。
仕事をたくさんやって話が少なければ勝利し、仕事をやらないで話が多い人は失敗する。

熱い人、味のある人、必要な人、手本となる人、先犠後喜する人、情勢と使命を分別する人。
※先犠後喜…おそらく造語。字のごとく、先に(他人のために)犠牲になることで、後の喜びを得る、と言うことだろう。

大木であるほど、各種の鳥が集まるように、糞をつけて歩いたとしても、内容を整えて歩めばよい。

人格4

昨日を誇れるもの、きょうを奪われない者、明日を待つ者。

体面を失うな。

私が食べて、寝て、なす一挙手一投足が何のためにあるかを常に考えなさい。

人格5

人を判断するためには、3年以上研究しなさい。

環境によって変わる葉となるな。

美しいものは単色ではない。
多くの曲折を持ちなさい。人生は豊かでなければならない。

人格6

人はこれからどうなるかが問題ではなく、私の心情・私の内的基準・私の主体的価値がどうなっているかが一番重要なのである。

自分が無限なる価値的基準の上で因縁を結んで立っていれば不変である。
慌てたりする者は、だいたい相対的な価値や相対的になった目的のみを見つめているためである。

み言で理想を与え、人格で実践を示してあげ、心情で愛を与えなさい。

人格7

私は、私個人の所有物ではない。私は、6000年歴史の結実体であるので、歴史的共同所有物なのである。

天も私の体、地も私の体、万民も私の体である。天と地と万民を、私の体のごとく対することのできる人格がなければならない。

人より豊かな人生をもとうとすれば、人より豊かな(長い期間が過ぎても忘れられない)余韻をたくさんもたねばならない。

人格8

平坦な人生を歩もうと願うな。曲折が多い自然は、かえって見るに美しいではないか。

人間は、まず必ず必要な人、いてもいなくてもいい人、いてはならない人とがある。

神様は、私の生活を通して喜びを味わおうとして、私を訪ねられた。

人格9

この世では、貧しければ受けることを願うが、我々は貧しい中でも与えなければならない。

最後の勝利は、我々が一番貴重なものまでも無限に与え、無限に愛し、無限に犠牲になるところにある。

世界の人類を、善の基準を標準として3種類に分類すれば、反対の人、善を知りながらも積極的に出て自分のものとすることができず緩衝地帯に住んでいる人、そして、善を私の責任としてなそうとする人に分けることができる。

人格10

この世をコンパスで測るごとく生きるな。

しかる前に、彼の立場に立って、彼よりは私がよくやるという自信をもつようになったとき、まず良い点を褒めてあげてしかりなさい。

与える時に、受けようとすれば、滅びてしまう。我々は、もっているものがなくても、与える心情で生活していこう。

人格11

我々は、健康もお金もないが、他人を幸福にし、かつ善良にしよう。

復活しなければならない私が残っていることを知り、未来に現れなければならない姿を重要視しなさい。

変わる善を中心としては、一つの世界をなすことができない。中心は揺らがない。深いほど穏やかである。太平洋を見なさい。表面では嵐が起こり、波も立つが、深いところは静かである。それに学びなさい。

人格12

こまの中心は、回るのか回らないのか分からない地点である。この世がいかに混沌としようとも、変わらない中心をもって生活していこう。

与えたものを覚えておくと、必ず返してもらいたいと思うようになる。与えながらも、覚えまいと努めなさい。

友人に与えると約束したものは、必ず与えなさい。約束を破ることは、あなたの人格を損なうものである。

人格13

大きい器を準備しなさい。小さい器には早く水を入れることができるが、それからあふれ出る水は少ない。しかし、大きい器に水を入れるのは大変だが、黙ってあふれるときには莫大な量の水となる。

金(きん)の価値は、火の中に入れられても、その本質が変わらないところにある。人間の価値も同じである。もし苦労の道にぶつかって、その志が変質したとするならば、人格者といえないだろう。

私が堂々と生きて、堂々と最後を結ぶことは、ほかの何を得るよりも大きく、ほかの何を失うよりも貴いのである。

人格14

ない中においてよく与える人なら、ありさえすればどれほどよく与えるだろうか。

私が因縁を結んでいく人には、マイナスにならないようにしなければならない。

柔和謙遜な高い価値の心の前に、低い価値の人格がぶつかれば、壊されて吸収されるのである。

人格15

麹(こうじ)は和合の原料である。全体を溶かすことのできる麹となりなさい。

善なる人とは、犠牲になる人であり、愛を誘発させる人である。

円満な人とは、四方性が整った人のことである。

人格16

十年でなった木の実は、十年間の木の精髄が投入されたのである。

沃土は、種が完全に生長することのできる土地である。沃土は、自分のためにあるのではなく、種のためにある。

言ってあげることがある、見せてあげることがある、残してあげることがあると言えるようになれば、世界を主管することができる。

人格17

見せてあげることができ、自慢し得る者となろう。

人格の中心は、真理にあるのではなく、心情にある。

心の闘いに勝利できない者は、外的との闘いに勝てない。

人格18

先生は、死んでも怨讐に対する敵対感情をもっていない。ゆえに、み旨は勝利する。

貴い宝物を預けてもらえる人とならなければならない。

天宙が好む人となろう。

人格19

皆さんが歩んだ道に対して、あとについてくるすべての人々が頭を下げ、礼をすることのできる道を残していかなければならない。

現れない生命力をもって、現せる私とならなければならない。

我々の目標は、堕落前のアダムに帰らなければならない。堕落前のアダムは、神様だけを知って恐れがなかったので、我々も、神様だけに侍って恐れを知らない立場に帰らなければならない。

人格20

我々は、どのような人とならなければならないのか。神様の代わりに生きる人とならなければならない。

み旨のために闘い倒れて死ねば、そこに香木を植えて、その香木を摘んで万民に向かって香をたいてあげれらる人とならなければならない。

歴史的にいくら偉大な人を望んだとしても、現実に現れた一人の価値を知らなければならない。皆さんは、なくてはならない一人として、子のみ旨の道を出発した。主体性をもった現実的な自我を整えなければならない。個性真理体は、宇宙史的な現実の焦点と同じである。

人格21

千遍、万遍死んだとしても、神様が自慢し得る息子、娘になろうとしなければならない。神様(天)を輝かせるのに、私が肥料になり、土台になろうとしなければならない。

生命の源泉は、どこにあるのか。自分がもっている価値を知らずにいて、それがほかの人の手に渡ると、もったいなく思って痛哭する、そのような者となってはいけない。

先生が知っていることは、神様が私を同情せざるを得ないという事実だけである。

人格22

耳、目、口、鼻が整った顔が、美しい顔ではなく、心と体が完全によく和合された人が、世界で最も美しい人である。

全体目的は、個体目的を支配する。しかし、個体目的を遂行しなければ立つ場がない。

一番高い頂上を占領しようとするのも良いけれど、深い谷間を占領して抱いていれば、永遠なる主人となる。

人格23

仕事をしたあとでも、神様が自分に対してくださることを、申し訳なく思わなければならない。

人格者は、見て聞いて行う人である。善を中心として見て聞いたことを行うことができないとき、悪主権内に立つしかない。生涯において善なる結果を残すことができなければ、これまた負債を負ったものである。

サタンの讒訴条件に引っ掛かることがなくて初めて、神様は、自分の息子として立てて、命令することができる。

人格24

個人的な自慢の実績がなくては、我々の自慢をすることができない。

物質を主管することができなければ、大きいことをなせない。最も窮地に追い込まれたとき、そこにおいて小さな物質が、生涯の全人格を破綻させることが起こるものである。

愚かな者は、姿形を見て喜び、知恵のある人は、内容を見て喜ぶ。

人格25

不義を見て、そのままにしておく者は、良心家ではない。

すべてのものを最も貴く思える人は、監獄にいる。

人間が、無限なる人格の場を自分も知らずに望んでいるのは、主体的な立場にいらっしゃる神様が、無限なる人格の主体としていらっしゃるからである。

人格26

言葉で人格を評価する時は過ぎ去り、これからは、愛でもって人格を評価する時である。

自慢は、歴史的な自慢をしなさい。天道というのは見えない権威がある。人格者は歴史性を持っている。

恐ろしい人とは、神様を抱いて耐え忍ぶ人である。

信仰者は、変わらぬ人格をもたねばならない。

実践1

正しいと思われたら、無条件に着手し、果敢に推し進めていけ。必ず神様が共に働くことであろう。

善なることなら損害を受ける覚悟でやってみなさい。絶対に滅びることはない。

自分が計画することは何でも果たすことができる。しかし、三つの峠を越えることのできる決死的な努力が必要なのである。

実践2

我々には武器がない。しかし、赤い血、赤い汗、赤い涙を砲弾として突撃戦を開始しよう。

同一なる実力をもっている中で勝つ秘訣は、たくさん動くことである。

天は、命令してくれることを待つ心情の上に運行なさる。

実践3

神様は、人間が願いもせず、思いもしないことに対しては干渉なさらない。

我々は、理念に燃えているし、神様の理念に向かっているし、天運が共にありさえすれば世界を動かすことは問題ではない。

一寸の土地、一人の人でも探し出し、神側に渡そう。

実践4

目標がはっきりしなければ、生活が明確になり得ない。

私が汗を流す時、父の汗が混じっていることを感じなければならず、私が涙を流す時、父の涙が混じっていることを感じなければならず、私が血を流す時、父の胸の血が締めつけれられるのを感じなければならない。この心さえもって神様をつかんでいれば、絶対に滅びない。

あなたの若い血が尽きる前に、この民族を立てて神様の前に捧げることを祈りなさい。年を取って戦うよりは、若くして忠臣、孝子女となるように願いなさい。

実践5

引っ張れられて歩む群れとなってはいけない。

み旨を知ったなら、自らみ旨を中心としての目的を与えてくださいといって、自らの道を開拓していかなければならない。
時の転換点における勝負は、時間と努力が問題である。そしてこれを動かしていくためには、勇気が必要である。強くて大胆な勇気は、信念から生ずるのであり、信念は、無責任な立場ではもち得ない。

実践6

自動的で、自進的で、自成的な者となろう。

関心のあることを果たし得なければ、大きいことはできない。謎のようなことを多くやってごらんなさい。

士気を失うな。自信のないところに前進があるはずがない。自ら士気を呼び起こして、事をなしていきなさい。神様は、意欲がないところには協助なさらない。

実践7

我々は、原子爆弾を爆発させるボタンのごとく、人類の良心を泣かせるボタンとなろう。

やることがないとき、生命は死んでしまう。使命がないときには、生命の権利を主張する資格がない。

一から全体まで、サタンより以上にやらなければならない。このような生活に徹しよう。そうすれば、感動して従ってくるようになる。

実践8

十分な準備が必要である。イエス様にも30年の準備期間があった。十分な準備が整えば、実践時代は短く、闘争期はより短くなるだろう

考えないところに物事は起こらない。活動を前進させようとすれば自分を特殊化させよう。そしてそのことのために、眠ることも、娯楽も、愛も、見物も、すべて忘れて全力を尽くしてごらんなさい。

大きい事をなすためには冒険が必要である。そうするためには、まず体を鍛錬しなさい。いくら貧しい食事をしたとしても、朝、運動しなさい。

実践9

神様は、戦うときは戦わない者を除いて、戦う者を選んで用いる。命を懸けて、み旨のため先頭に立ちなさい。神様は、いつでも命令できる人を探している。

自信のないところに完成はあり得ない。

良心が落ち着かないところなら、早くその場から去りなさい。その場にそのままいれば滅びてしまう。まず、み旨と一致した目的点を立てて、自分の良心点と結びつけ、正確な一つの方向を決めて、一直線上で努力し、誠を尽くすことが重要である。

実践10

天と地のすべての精力を一つにかき集めることのできる秘法を研究しなさい。同級の同僚が同じことをするとき、自分が一番できないと思うときには、現在自分がやっている仕事のほかに、任せてもらえる仕事が何であるかを知り、誠を尽くすのが、神様の前に近づく秘訣である。

きょう何かの覚悟と決心があれば、これをきょうのものとして立てていかずに、未来のものとして立てていきなさい。

軍隊は、征服して勝利するためにある。あなた方は、すべての障壁を越えいく天の軍隊である。善をもって環境を広めていきなさい。これが我々の目的である。

実践11

あなたは、サタン世界に監禁された捕虜である。サタンの包囲網を破って新しい道を開きなさい。そうしなければ死ぬ。

戦争に負けた者が味わわなければならない、つらい結果を考えてみなさい。どうして我々が戦いに負けられようか。

これまで歩んできた苦難と涙の道は蕩減のためのもの、これからは勝利のための栄光の涙を流そう。蕩減の歴史の中で、涙、汗、血を流したが、今は復帰のための本物の涙、汗、血を流して、この民族、この地を神様に捧げる貴い仕事をなそう。

実践12

我々は、神様のための闘いをしよう。絶対に滅びない。イスラエル民族が荒野で倒れたのは、勝利しなければならないという信念がなかったためである。

時間を主管できるものは、大物である。時間は、すべてをもってきてくれたり、すべてを奪い去っていったりする。時間を主管できる人は、人生を支配できるものである。

愚かな者とは、時を知りながらも実践しない者である。

実践13

今までの我々の苦労は、いくらやってもサタンのため。神様が心配なさる復帰の苦労はしたけれど、神様が安心して喜ぶことのできる苦労はしなかった。すなわち、蕩減的苦労はしたが、復帰的苦労はしなかった。

悪は、今まで善をだまして悪にしてしまったが、善は、悪をだまして善にできなかった。これが、今日のキリスト教がみ旨を果敢になし得なかった理由かもしれない。

自分自らを刺激することができなければならない。

実践14

生きている者は、発展するのが当然だ。生きた死体となってはいけない。

正しい考えを多くし、実践を多くなせば、人より先に進むようになる。考えてばかりいて滅びた人は多いが、実践をしていて滅びた人はいない。

楽しみを感じながら仕事をしなさい。

実践15

闘志力以上の財産はない。

食物をおいしく食べる方法を考えなさい。そして眠りを征服せよ。歴史的な人物たちは、一日に三時間しか休まなかった。

良心を中心として準備し、実践しなければならない。我々の動きは、人々の良心が爆発して、我々の側にならざるを得ない立場をつくっておこうとするのである。

実践16

人よりも多く考え、多く準備し、多く動きなさい。そして自分が行ったり来たりした所はプラスにはしたとしても、絶対にマイナスにはしないという信念をもって進まねばならない。

涙と血と汗が、我々の武器である。

イエス様は、神様のみ旨と理念を残した。皆さんも、父のみ旨と理念を残さなければならない。そうするためには、見せて誇り得る実績がなければならない。

実践17

神様に対し、話す言葉のある人は恵みを受けるであろう

真実を連結させるにおいては、人のものを借りてはならない。自分のものでなければならない。自分の実績でなければ、後孫や後代を導くことはできない。

内容だけもっていてはいけない。誰もが認め得る実績をもちなさい。

実践18

我々は、神様と人類と民族と子女の前に、少なくとも3つは分け与えることのできる、自慢し、誇れるものをもたねばならない。

いかなる者もなし得なかったことを、我々はなしておこう。

神様の命令があるとき、これに応じなければ、神様は再び同じ命令はなさらない。

実践19

運命を怖がる人は、運命に食われてしまう。しかしその運命にぶつかっていく人には運命が道を避けてくれるのである。

我々の生活において、眠ること、食べること、着ることを少なくし、この三つの上に努力を加えれば、勝利することができる。人が眠るとき眠らずに、人が遊ぶとき遊ばずに、人が食べるとき食べずに働かなければならない。最後の決勝戦に向かって走っているので、休む間がない。

神様の命令を受ける時から、神様の時は始まるのである。

実践20

時は、知らないうちに尋ねてきて、知らない間に去っていく。我々がみ言を受けるその日から、私の最後の日は始まり、願いの日は始まるのである。

春の日ざしは、冷たい冬の下でも準備をしている。今の時代を心配するより、未来を心配すべきではないか。

批判する人は、革命的なことを行えない。

実践21

小さな希望をもって、大きな準備をしなさい。

イエス様は、天宙的な純粋性と、高潔性と、敵愾心と、和動心をもって来られた方である。我々もこのような理念をもって、イエス様の代わりに実践しない限り、イエス様によって負わされた荷は、永遠に下ろすことはできない。

これまでは父と子とみ霊(たま)の名で働いてきた。「私の名で働く時を与えてください」と言わなければならない。

実践22

信念が立たなければ実践にならない。

信念をもって制圧しなさい。忠誠によって凌駕しなさい。行動において強力でありなさい。

三千万のために信念をもちなさい。忠誠を尽くしなさい。闘いなさい。

実践23

自分を信じて進め!ひたすら一人で行くという立場で、結晶体とならなければならない。

見せてあげて自慢することのできる、固い決心をもって前進しなければならない。

「この地よ!今はこうであるが、何年後には見ていなさい!」という気概が必要である。

実践24

み旨と目的がいくら大事なものであっても、現せなければ、何の価値があろうか。

み言は、実践によって語らなければならない。

神様は、後退もせず、失敗もしなかった。百年に一歩だけでも前進した。

実践25

闘おうとすれば、自信と万全の準備がなければならない。

すべての創造の行為が歴史的発展をするためには、始めは考え、次には決定したことを準備し、最後には実践しなければならない。

いかなる環境に入っていくとしても、私の生涯において屈しなければ、最後まで残る群れとなる。

実践26

先生が「ダイヤモンド」の鉱脈を発見すればそれでよいのであって、「掘ってください」とまで言うのか。

自分の精力を120パーセント注ぎなさい。そうして失敗するとすれば、それは失敗したのではなく、必ず協働者が現れる

自信をもつためには思想が必要である、思想は過去、現在、未来の歴史に通じなければならない。

実践27

最後の決勝戦に向かって走るので、休む間がない。

現実に重要なことに対して、信念をもって実践する人が、未来の主人公になる。

常に、最後の場は自らが越えなければならない。

実践28

祈る前に実践することが、祈ることより貴重な場合がある。

一生の間を区分し、計画を立てていかなければならない。一生は短い。

現在の自分の位置を、第2段階のための基地にしなければならない。無駄に過ごす人が多い。

実践29

犠牲は、発展の原動力である。真なるものは弁明が必要ない。

「過去にも勝ったので、また勝つことができる」という確信と信念だけが、最後の山頂を突破できる。

誓いを立てずに実践しなさい。

実践30

道の世界での約束は、絶対に守らなければならない。

希望というのは現実的なものではない。未来的な夢であるが、その希望が現実的なものとして現れたときには、より多くの価値の喜びをもつことができる。

農夫が種を蒔くとき、元になる種まで蒔くことは愚かなようであるが、これは賢明なことである。それは現実を願ってやるのではなく、未来のより大きな収穫のためである。

実践31

神様の戦法は、奇襲するのではなく、ゆっくりと正規の戦法を使うのである。もし激戦を始めたときには、戦いに勝利したとしても、獲物を全部使うことはできない。虜にした獲物には完全なものがない。しかし、ゆっくり戦うなら、虜にした獲物もみな使えるのである。

戦いで始まった歴史は、戦いでは解決することができない。ただ和解する道しかない。

強く、また雄々しくあれとは、ほかの誰でもなく、自分に対して言うのである

実践32

栄光の褒賞をもって多くの民に褒められることよりも、焦る思いをもって何代かの後孫の時代のために苦労する人がいれば、その人が成功する者である。

一心は父母の心情をたどることによって成り、統一は不幸な条件を共にすることによって成る。

追われる神様に侍って、反対に勝利の進軍をなしていく勇士とならなければならない。

実践33

天地を主管される万王の王であられる神様が、記憶することのできる、追憶の日をつくれるなら、それが最高である。

後退することも前進することも、自分自身が母体である。後退する人は、人も嫌うが、神様も嫌うのである。