| 資料を読む | 「いえ、私はエリヤではない」 |
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洗礼ヨハネはどうして自分が「預言者エリヤ」であることを否定したのだろうか。統一原理には詳しく説明されているのだけど、ここではイエスに対する彼の個人的な葛藤心が大きなネックになっていた、という点を指摘しておくにとどめよう。 イエスは彼よりも年下(6か月後の誕生)で、しかもイエスと彼は近い親戚関係でした。お互いに幼ななじみだったのかも知れません。ところが、ヨハネが名門の誉れ高い司祭の家系に生まれ育った修行者として国民的英雄(預言者)になったのに対して、イエスのほうは貧乏な大工のせがれであり、その上イエスの父(ヨセフ)が本当の父ではなかったという大きなハンデを背負っていました。出身地もナザレという噂だが、実際はハッキリしない。そのように、二人の世間的な立場や評判の違いがヨハネの心を微妙に揺るがしたのでした。 また、彼は出現するメシヤというものが外面的にも「ものすごく素晴らしい」という自分勝手なイメージを描いたのです。実際、彼はメシヤについて「私なんか、その方の靴のひもを解くほどの値打ちもないほどに素晴らしい方がメシヤだ」などと超豪華な前宣伝をしていました。でも、現実に現われたメシヤはボロ布をまとった親戚の貧乏人イエス君だったのだ! こりゃあ、激しく葛藤するのも無理はないかもね。しかし、彼はそういう個人的な葛藤を乗り越えて壮大な人類史的観点に立って正確な判断をするべきだったのです。 |